西本願寺 新撰組 刀傷

<出典:新選組隊士人名事典> 島田魁 しまだ さきがけ 文政11年1月15日~明治33年3月20日 (1828年2月29日~1900年3月20日) はじめに. 西本願寺と言えば今でも多くの信徒を抱えていることで知られているお寺ですが、これまた人気の高い新撰組と関係があることをご存じでしたか。 この記事では西本願寺と新撰組の関係や西本願寺の見どころについてご紹介します。

という理由で断… だからこそ西本願寺に屯所を造る、というのが新撰組の意図だから、嫌がらせ以外の何物でもない。 尊王思想を持っていた山南敬助などの、近藤・土方への反発が強まったのも、この嫌がらせ移転計画がひとつの理由とされている。 1900年(明治33年)。 西本願寺の夜間警備員だった島田魁が境内で倒れ、73歳で息を引き取りました。
京都で新撰組巡り(半日)~Part2~ さて、西本願寺から出た私達は新撰組メンバーも行ったという島原へ行こうとするのですが、 時間がない! ¥é”の粋な気遣いを感じることができます。関連情報お西さんを知ろう!"お西のお坊さん"が本願寺の境内をご案内します。ご参拝やお勤めを親鸞聖人を宗祖とする本願寺の文化財や 京都にある新撰組の聖地として有名なのは、壬生や島原ですが、京都駅近くや西本願寺近くにもゆかりの地がたくさんあるので、今回は西本願寺から京都駅に向かうルートでご紹介します!ファンならずとも、京都駅エリアで宿泊、お食事される方にもおすすめです。 西本願寺と言えば今でも多くの信徒を抱えていることで知られているお寺ですが、これまた人気の高い新撰組と関係があることをご存じでしたか。気になる御朱印についてもご紹介します。浄土真宗本願寺派の総本山であり、ご本尊は阿弥陀如来です。ご本尊の安置された阿弥陀堂は国宝に指定されており、1760年に再建された建物です。そんな西本願寺には1865年より新撰組の屯所が置かれていました。新撰組といえば何度も映画やテレビドラマ・舞台の題材となりいまでも人気の高い江戸時代末期の警察機構です。京都の治安維持の他に、反・江戸幕府派の人間を捜索・捕縛するのが主な仕事でした。当初は少数精鋭でスタートした新撰組ですが、池田屋事件や長州征伐の勃発などにより幕府の信任を得ると隊員が急増し、それまでの屯所は手狭になってしまい、西本願寺に移転することとなります。移転といっても事実上は北集会所と太鼓楼を占拠している形に近く、境内で堂々と射撃訓練や食用の豚を飼育・肉食まで行っており、宗教関係者にとっては招かれざる客だったようです。そもそもなぜ西本願寺内に屯所を設けたのかというと、西本願寺が長州藩と親しい関係にあったためです。西本願寺が織田信長と抗争を続けていた戦国時代、長州藩は西本願寺を支援していました。その縁で京都における長州藩士の緊急逃げ込み場所としての側面もありました。倒幕派の筆頭と目されていた長州藩の藩士を監視するためにも西本願寺は最適だったわけです。結局、西本願寺側が新撰組に新たな屯所を設立する資金を融通することで1867年に新撰組は退去しました。その後、北集会所は1873年に姫路市内へ移築されたので、現在の西本願寺の中で新撰組に関係する建物というと太鼓楼ということになります。ぜひ探してみてください。西本願寺の境内にある建物はそのほとんどが国宝あるいは重要文化財に指定されており、どれも見落とせません。国宝指定の阿弥陀堂や特別名勝に指定されている虎渓の庭も必見です。西本願寺の巨大な銀杏の木は樹齢約400年と推定されており、天然記念物として京都市に指定されています。西本願寺が火災にあったとき、この銀杏から水が噴き出し難を逃れたといいます。火災によって文化財を失うことが多かった京都ならではの伝説ですよね。京都のお寺では「八方睨みの龍」が有名ですが、西本願寺には「八方睨みの猫」と呼ばれる、どの角度から見ても自分を睨みつけているように描かれている猫がいます。それは書院の東狭屋の間です。天井には様々な形態の書物が描かれているという、本好きは思わずニヤリとする構図の部屋ですが、1枚だけ書物の上に猫が座っている絵があります。仏教において猫は特別な存在のようです。西本願寺には御朱印は存在しません。また守りやお札もありません。常に阿弥陀さまが見守って下さり積極的に人々を救って下さると考えている宗派のため、納経・お守り・お札といったものは不要とする思想があるためです。スタンプは3種類あり、「飛雲閣」「唐門」「御影堂・阿弥陀堂」のイラスト入りです。西本願寺には境内に参拝者用の駐車場があります。京都駅から西本願寺までは約1.4キロメートルですので、電車を使うと逆に遠回りになります。京都駅からの移動であれば徒歩が無難でしょう。歩くのはイヤな場合は市バスかタクシーがおすすめです。ただしタクシーを使用するには近すぎて、運転手さんによっては嫌な顔をされることもあります。西本願寺と新撰組の関係や見どころについてご紹介しました。新撰組に興味がある方も安土桃山時代の建築物に興味がある方にもおすすめです。
本願寺の東北角にある重層の楼閣で、内部に今も残る大きな太鼓は、江戸時代には周囲に時刻を告げる合図となっていました。 幕末、本願寺を一時的に屯所としていた新撰組による刀傷が、今も残っていると伝えられています。